欠乏感の正体。人からの印象が気になる人へ。

レインボーアーティストたみのともみです🌈



今ね
水面下で色々動きだしてることがあって
なんか1日24時間じゃ
足りなくなってきそう笑




だけどこの
自分の限界値を引き上げられる感覚とか
コツコツ積み重ねる感覚は
嫌いじゃないなと思う。




ほんと
自分のリミットを作っているのは
自分でしかなくて



「自分はこれくらいしかできない」とか
「自分にはこんなことできない」とか
「自分はその方法は無理」とか




一見
自分をとてもよく理解しているようで
自分をものすごく勘違いしている。
自分をおそろしく見くびっている。




周りが自分のことを
どう思っているかを気にして
その印象に自分を合わせていくことも
自分を檻に閉じ込める行為だと
わたしは思う。




周りの印象なんて
コロコロ変わるものだし
そんなところに合わせていたら
道に迷うだけ。




かく言うわたしこそが
周りの目を気にして
「なんか変わったよね」
って影で言われるんじゃないか怖くて
自分をがんじがらめにしてきた。




だからこそ
それがどんなに
バカげたことだったかわかる。




今はね
どんどん変化していきたい。
まだまだ未知なる自分を発見したい。




わたしはこうだ、なんて
決めたくないし
決められたくない。


だってみんな
いろんな自分がいるやん。



優しい自分
いじっぱりな自分
意志の弱い自分
わがままな自分
細かい自分
大雑把な自分…



学校のクラスの中に
いろんなタイプの子が
居るのと同じ。 




だけど
優しくて
優等生な自分だけを認めて
それ以外は認めないで



廊下に出しちゃうと
一瞬安心な訳だよね。




だけど
追い出した自分がいる状態って
ずっとどこか不安だったり
欠けてる感覚が拭えない。




誰かが見つけちゃうんじゃないか
バレちゃうんじゃないかって
怖いのよ。



だから
その不安や怖さの穴埋めに
褒められたり賞賛されたり
人の役に立とうとしたり



弱さを出してみたり
強さで防御してみたり。
自分を守ろうとしちゃうんだよね。
無意識に。




だけど
欠乏感は埋まらない。




欠乏感の穴を埋めるには
自分が切り離した自分を
もう一度クラスに
入れてあげるしかない。




どんなに情けない自分であっても。
どんなに酷い自分であっても。
どんなに醜く目を背けたくなる
自分であっても。




切り離していた自分を
ひとり、またひとりと
許して
抱きしめて
クラスに迎えいれていくたびに




どんどん
内側の世界は
安心と平和が広がっていく。




そして
外側に見える現実は
内側の世界の反映だから
現実もどんどん
安心の世界が広がっていく。




そして
切り離してきた自分は
本当は「ダメな自分」ではない。





たしかに
過去に失敗しちゃったことは
あるかもしれないけれど




本当は
これから望む人生を生きるための
鍵を握っている存在なんだ。
そして
切り離していた自分を
ひとりまたひとりと
受け入れていくたびに




やっぱり
その人の雰囲気は
変化していく。




それは本当の
全員集合の自分へと向かう変化で




ある意味
まんまの自分へと
還っていくことでもあるよね。





本当は
明るい人、とか
賢そうな人、とか
一言で言いあらわせる人なんて居なくて




明るくて
根暗で
ポジティブで
ネガティブで
繊細で
図太い




そんな多面体の存在だから
「◯◯な人」っていう
自分のイメージも
他人のイメージも
ほんの一部でしかなくて




そこに縛られないで
どんどん変化しちゃって
いいんだと思うな。

だから安心して
これまでの自分が
やってこなかったこと
できなかったことにも
手を伸ばしたらいいんじゃないかな。





わたしも
安全ゾーンをあえて
出てみるよ💖
あらたな自分に出会うために。

Rainbow Arts&Labo

レインボーアーティストたみのともみ 「表現は祈り」という想いを軸に、絵画製作などの表現活動を行うほか、一般の人を対象とした表現の場づくりやワークショップを開催しています。

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